薔薇と向日葵

日々の気づき、思いなど。

ははのこと

行き詰って行き詰って、

でもいろんなことを学んで、

ちょっとずつ角度を変えていった結果、

ようやく分かったこと。

 

ようやく自分の奥底までたどり着いて分かったこと。

 

母に、「なにがあっても味方だから。」と言ってほしかった。

つらかったね、がんばったねって言ってほしかった。

わたしのままで大丈夫って言ってほしかった。

 

ずっと、父との関係が問題だと思ってた。

母とは癒着が強いなとは思っていたけど、悪い関係ではないと思っていた。

でも、最近になって急に、母に対して否定的なことばが上がってくるようになった。

だから母とのことを、ずっと考えていた。

そうしたら。

 

思春期の頃から、母にずっと気を使ってきたこと。

大人になっても、一人暮らしをしても、何かをするたびに

「お母さんに怒られる」「お母さんに聞かないと」

と思っていたこと。

辛かったことは何一つ話せなかったこと。

悩みを話せたとしても、「しょうがない」「我慢しなさい」「わがままを言うな」と言われたこと。さらに逆に「私のほうこそこうなのよ!」「何を偉そうに!」と言われ、

結局私が悪者になっていたこと。

 

いろんなことが出て来た。

 

 

母は、わたしや妹の心配をするのが、半ば趣味かもしれない。

常に心配している気がする。

そして二人とも、その心配に見合う人間になったと思う。

「こんなにしんぱいしてくれてるのに、こんなおとなになってしまってごめんなさい。」

 

 

わたしは自分で気付いてなかったが、自分をとてもだめな人間と思っているようだ。

いつまでたってもお母さんの望むような、ちゃんとした大人になれない。

ちゃんとした大人になれなくてごめんなさい。

こんなことも出来ない私でごめんなさい。

 

そうやっていつも自分を罰し、だめな人間であることを証明するために、何度も問題を引き起こす。

でもそれらを母には言えない。

言えないから、助けてと誰にも言えなくなり、一人で何とかしようとして、

結局八方ふさがりになって自滅する。

そうやって、みじめな私を作り出し、だめな私を作り出し、証明して見せている。

 

たぶん、母に「無条件に味方でいてほしい。大丈夫だと言ってほしい。」と言わなくちゃいけないときに来ているんだろうな。

「助けて」と。

 

わたしはずっと、母を「かわいそうなポジション」においていた。

かわいそうポジションに置いたことで、母は病気になった。

沖縄に行ってる間、わたしは常に心配をしていた。

大阪に戻った時に、かわいそうポジションに置くことを止めた。

心配するのを止めた。

そしたら、慢性的な病気に効く新しい薬が出て、今のところ効果が出てる。

 

誕生日の夜に。